テューバ的アマオケ選曲考

オケ自体のコンセプトがはっきりしていれば、たとえば最初から「ブルックナーのみ」「ショスタコのみ」と謳っているオケであれば、そこに集まるメンバーは自ずとその作曲家のシンパなわけだから、どの曲になっても深刻な問題とはならず、楽器の編成などもある程度あらかじめ周知しているわけだからスッキリとおさまるだろう。


しかし、不特定多数の音楽好き楽器好きが自然発生的に集まって立ち上った地域密着型オケは、あらゆるレベル、あらゆる好み、あらゆる職業、あらゆる方言?等混在するので、演奏会でやりたい曲もあらゆる選択肢が存在するのだ。そこで多くのアマオケは皆からアンケートを採るなどして民主的に採択してゆくのが一般的である。


アンケートをすると必然的に人気作曲家が上位を独占する。モーツアルト、ベートーベン、ブラームスと並べるだけで実に素晴らしいプログラムが出来上がるだろう。だがそこにテューバ奏者にとって致命的な大問題が持ち上がる。出番が無いのである!


オケでのテューバは出番が少ないというのは知識としては知っていたが、テューバという楽器はハープやコントラファゴットチューブラーベルと同様の「特殊楽器」な存在なのだということをアマオケに入ってから身をもって知った。


私が今まで所属していた団体でも1回の演奏会に最低1〜2曲はテューバが乗るように配慮してもらっていたのだが、だいたいが前プロ、中プロどまりでメインにはなかなか出場できないが実情だ。しかも編成表にはテューバ有りとなっていても、ほんのチョイ役程度のものが多いのである。家族から白い目で見られやっと搾り出した貴重な余暇の時間を充てているにもかかわらず、合奏練習の大半を休符を指折り数えたり、スコアを見たり、慣れてくるとただボーと過ごしてみたり。だから才能ある積極的なテューバ奏者が、団内指揮者やセクショントレーナーになるケースを結構多くみかける。残念ながら私にはそこまでの気力体力はなく、奏者でいるのが精一杯だ。


そうは言っても、いかに「アマオケは自己満足の世界」だとしても、いざ演奏会を催すとなった場合、聴衆の立場にたって選曲するのが筋であり、テューバが乗る曲という観点で選曲するのはおかしいとも思う。だからテューバ奏者を正団員にしないという主義のアマオケも多い。私も個人的には賛成だ。ハープ等と同様に編成上必要ならその都度賛助出演を依頼する方が自然な選曲になるだろう。


ここにジレンマあり!
つまり、私としてはテューバの出番がガンガンある近代の曲を主に演奏したいが、実情は困難。だからといってテューバに配慮した不自然な選曲も聴衆の立場から考えるとおかしい。「ああ選曲は楽しくて苦しい!」